Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

ある瞬間

どんなお仕事でも、デモ音源を作成する場合、歌モノの楽曲であれば、自分で仮歌を録音する。
他人に提供する曲でも、自分のために作っている曲でも、同様にひとりでマイクを立てて、ひとりでコンピュータ上のRECボタンを押して、ひとりで、歌う。
その曲がどうすれば私の思い描いているモノに近付けられるかを試行錯誤しながら、歌い方を変えてみたり、マイクの角度を調整したり、気分転換に散歩に出てみたりしながら、喉をあたため、身体をあたため、じょじょに集中を高めながら歌入れを行うのであるが、ほぼ毎回、あろうことか大のオトナが、自分の曲に感動して泣いてしまう。
とりたてて壮大なことを歌っているわけでも、大事件をつづった内容でもないのに、ある瞬間、胸の奥に何かがグッとこみあげてきて、それ以上歌えなくなってしまうのだ。
お子ちゃま向けの他愛のない楽しく元気な詞世界であっても同じことで、こみあげるその瞬間がやってくるまでは、その曲を提出物とはできないのである。そのラインが、私にとって提出物とできるかできないか、のハードルの一つ、、ということなのだろう。
グッとこみあげた後はウルウル涙を流しつくして充分に感動に浸ったのち、何事もなかったかのようにマイクの前に戻り、さくっと歌いあげて終了する。これが私の自宅でのオチゴトの大まかな流れだ。


ところが先日、外録音の現場で「仮歌で涙する」という話しになり、微妙に引かれたのであった。。。
いや、でも、そのくらいじゃないと、作った本人が泣いて歌えないぐらいのシロモノじゃないと、マジメにいかんでしょう!と心の底から思う。


・・と書いていて、ミッフィーの作者であるディック・ブルーナ氏が、むかし何かのインタビューに答えていたのを思いだした。
ミッフィーを描いている最中、ミッフィーが確実に私を見ていると感じる瞬間がやってくる」。
なのだそうなのだ。とてもよくわかる。
特定の対象物に集中して向かい合っていると、かならずやってくる「ある瞬間」。
複雑な数式がものすごくシンプルに思えるようになる瞬間、バラバラになっていた物語りがひとつに編み上げられる瞬間。音楽に限ったことではない。
はかりかねていた他人の心に深く深く触れたように思える瞬間、心臓の奥の奥の奥までが心地よくあたためられて、言葉とか時間があまり意味を持たなくなる、そんな瞬間。