数日前、友人と食事をするために出かけた。
アルコールを飲むことがわかっていたので珍しく電車で移動。そしてその夕暮れ時の車両内で、とても妙なものを見た。
一人の落ち着きのない男が自分の右手を執拗に庇っている。左手が右手をしっかりと包み込んで、目に見えない何かを守っているような、あるいは右手の動きを自分で押さえつけているような、とても不自然な様子が私の目に飛び込んできた。
見ていることを本人に気づかれないようにそれとなく観察していたのだが、男は実に小刻みに立ち位置を変えていて、その動きは他の乗客達とくらべて少し速い。最初は、何か疾患を持っている人なのかと思った。が、じきにそうではないと分かる。
疾患は疾患なのだろうが、少しばかり種類が違っていたのだ。
私の真正面の席が空き、男は素早い動きで座ったが、そのとき、右手は左手の拘束から逃れて自由になり、右隣の若い女性のスネをうやうやしく撫でた。一瞬の出来事。女性は熟睡していてまったく気づかない。
おまけに私が凝視していることに、男はまったく動じていないようだった。正面から睨みつけている私の目を一度も見ない。不思議なことに、男の視界に私は入っていないようなのだ。
じき男の右手は左手に自由を奪われて、硬直した。
硬直した右手を違和感ありげに身体の少し前に据えながらも男の目線はめまぐるしく動き、常に自分の興味ある方向へ、するどい眼光ビームを放っている。その様子は真剣そのもの。彼の身体の中は想像を絶するほどの充実感で満ちあふれているのだろう。
ふいに男が席から立った。離れざまに、またうやうやしく先ほどの女性のスネを一撫で。その「触れ方」があまりに独特で、「わいせつ行為」というよりは、「敬意のあらわれ」とか「崇拝」とか「マリア像のつま先へのキス」とか、そういう種類の匂いがする。
なんなのだろう、これは。女性のスネに対するフェティシズムなのか。タダの痴漢とはちょっと事情が違うようだ。
席を立ったのに男は下車するわけでもなく、またも不自然な動きを繰り返している。
そうこうするうちにも乗り換えの駅がいよいよ近づき、私はその電車から降りねばならなくなった。ドアの前に立ち、ああ、あの哀れな変態男の奇妙な行動をもう少し観察したかったのにな、、、、、と思うやいなや、2つ向こうのドア近くに立っていた変態男がすごいスピードでこちらに向かって歩いてくる。目は完全にイッている。カッと大きく見開かれているのに、おそらく何も見ていない。
瞬間、恐怖を感じたけれど、すぐに「大丈夫。彼の生きている世界に私は存在しない」と直感した。案の定、男は大きく大きく両目を見開いたまま猛スピードで私の真横をすり抜けて、隣の車両へと去って行った。