一昨日の夜は月食。
滞在先のマンションの屋上に出ると、赤黒く変容した月の左下から、今まさにまばゆいばかりの発光体が、細く細く覗きはじめたところ。
その様子はまるで、かたく厚い種子の皮が、少しずつじわじわと剥かれていくようにも見える。
お風呂あがりの頭皮がきりきりとねじり上げられるような寒さの中、しだいに姿をあらわにする発光体をまじまじと凝視していたが、今風邪をひいてはとんでもないことになるぞ!というわけで、ものの数分であたたかい部屋に戻ってきた。
ぬくぬくとした部屋の中、両手の指で円を作って月とし、そこに今見たばかりの剥きたての発光体を右手の人差し指で描いては、ついさっきの寒さをも思い出しながら、何度も何度も記憶とイメージを反芻した。
すごいなー、すごいなー、と繰り返しつぶやきながら眠った。
翌朝、まだ暗いうちに大荷物をごろごろひっぱって出発、始発便目指して電車で羽田空港へと向かう。
電車が高架にさしかかったとき、すごい景色を見た。
シートに座る私の目の前に、闇夜の中、沈み行く巨大な満月。7時間ほど前に起きた月食の痕跡などどこを探しても見つけられない、完璧にぴっかぴかの巨大満月が、今、民家とビル群の中に身を浸そうとしている。何かの間違いなんじゃないかというくらいに大きな満月。
その満月をのぞむ窓ガラスに、反対側の車窓の景色がかすかに映りこんでいた。
え!っと思って自分の後ろを振り返り、思わず息をのんだ。
そこにはつい数分ほど前に彩られ始めたばかりの朝焼けが広がっていたのだ。
もちろん説明はつくけれど、同時にぜんぜん説明はつかない。
まったく別の物語が、私の前と後ろで進行していた。
前を見つめ、サッと振り返り、またサッと前を振り向く。
何度も何度も前と後ろを交互に見つめ、昨夜と同様に、すごいなー、すごいなー、とつぶやく私。
早朝すぎて電車はがらんがらん。
ありがたいことに私を変人だと思う人はいないのだ。
その電車が高架から地面に降り、トンネルに入ってしまうまで、「すごいなー、すごいなー」は続いた。
すごいなー、すごいなー、が連発できるときは、心すこやかなとき。
おかげさまで、その日無事に辿り着くことができたワークショップでは、すこやかにボーカリゼーションを楽しむことができた。
喉の快感。大勢と一緒に声を出さなければ得られない波動を満喫した。
ああ、気づけば、今年もいよいよおしまいに近づいてきたのだった。
すごいなー、すごいなー、とつぶやきながら過ごしたいな。