女殺油地獄。
このあまりに有名な世話浄瑠璃に最初に触れたのは、中学3年生のとき。
部活動で演劇をやっていた私に、この戯曲を現代版にして上演してみては、と、学校の現代国語の先生が提案してくださったのだった。
で、とにかく読んでみたらば、まだまだお尻の青い思春期まっさかりの私は、あまりのおぞましさにブッ飛んだ。
なにせ「女」が「殺」されて「油」の「地獄」わなけで、もうそれはそれは大変なことになっているのであった。
もちろん義務教育真っ最中の中学生が現代版女殺油地獄を上演するなど、対PTA的にも、対学校的にも、対世間的にもまったくもって無理のある話しで、おまけに学校は女子校である。この戯曲の主人公は男。それを女に置き換える、という段階でなんだかものすごく複雑な領域に足を踏み入れねばならない。即ギブアップは必至であった。
主人公の抱く理不尽な殺意、殺しへの甘美な傾倒、倒錯心理、油と血にまみれながらの惨殺シーン。
上方っぽいなぁ、と思う。
もしもこの戯曲が江戸の言葉で構成されていたら、ぜんぜん違った質感の舞台になるのだろう。
かつて實川延若丈が演じたすさまじい映像を何年か前にNHKアーカイブスで見たが、昨日は歌舞伎座で片岡仁左衛門丈演じる河内屋与兵衛を花道脇で拝見した。
上方芸能、関西文化圏、儲かりまっか、ぼちぼちでんな、あほちゃうか。
私が大阪で生まれ育たなかったならば、まったく理解できなかったであろうものが、この世の中にはたくさんある。
郷里を大切にしましょう、なんて、今更当たり前のことだけれど、でもほんとそうよねぇ。