Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

かしぶちさんの思い出

darienonikki2014-01-07

昨年、お世話になった方が何人もこの世から旅立たれた。
どの方も鬼籍に入られるにはまだまだ早いご年齢だったし、本当に残念なことだと思う。
肉体を脱ぎ捨たかわりに更に自由な翼を得て、次なるステップに進まれたのだと、私は私で自分に言い聞かせることにしている。



ムーンライダーズのドラマーだった、かしぶち哲郎さん。
かしぶちさんと最初にお目にかかったのは1986年、私がムーンライダーズライブサポートのお仕事をさせていただいたときのこと。
地方公演が大阪、名古屋、福岡、札幌。そして東京の日本青年館
東京公演に限り、ある取り決めがあった。
出演メンバーは開演前に楽屋で画用紙に絵を描いて、それをステージ上から客席のお客様に差し上げなければならない決まりになっていたのだ。
青年館での公演は数回あったと記憶しているが、全員、もちろん公演ごとに毎回違う絵を描く。
演奏よりもこのお絵描きタイムに熱中する人もいて、リハーサルを終えて開演を待つ楽屋はさながら画家集団のアトリエのよう。
とにかく通常のコンサート前とはひと味もふた味も違う楽しさがあった。
そのときに私が描いた絵をかしぶちさんが褒めてくださって、ご自身が連載される予定になっていたエッセイに添えるイラストの描き手に推薦してくださったのである。
音楽之友社から出版されていた「Techii(テッチー)」という音楽雑誌。かしぶちさんのエッセイは「新恋愛講座」と題され、かしぶちさん独自の恋愛観がしなやかな文体で展開されていた。
そのエッセイとともに掲載されるイラストを、1987年の春頃から半年間ほど描かせていただいた。
美術大学を卒業してまだそれほど間の無い時期、家には現役の画材がそこそこ揃っていたこともあり、よろこんでお引き受けしたのだけれど、連載中は毎回本当に楽しく、そして興味深く関わらせていただいたものだった。
かしぶちさんの直筆のエッセイをまず読ませていただき、それから絵を描く。
当時の私には時間もたっぷりあったし、かなりの時間をそこに費やした。
文字通り、没頭していた。
今思い返せば、音楽家としてまだまだ模索期だった私には、自分の絵を通して自分自身の中に深く入っていく、という行為が必要だったのだろう。
ソロアルバムを作ろうと試行錯誤してはいても、なかなかリリースするに至らない。
ならばディレクター陣のリクエストに応えるような楽曲を作ればそれでいいのか、私のやろうとしていることは世の中では受け入れられないのか。
当時25才の私の心の中には様々な葛藤や、ある種の音楽業界人に対する不信感も芽生え始めていた。
そんな私を、私の創作の立脚点を、もう一度プラスの場所に呼び戻してくれたのが、このイラストのお仕事だったのだ。
偶然にもかしぶちさんからいただいた機会のおかげで、結局は「自分に誠実に」やっていくしかないという当たり前のことを再確認できたのだった。



このお正月、しまってあった原画をすべて出し、かしぶちさんのことを偲びながら、あらためて眺めてみた。
画像は、その中の一枚の、さらに部分。
人物、であるのだろう。この人物(らしきもの)は、自分の中から無数の触手をのばしてあらゆる世界や人とつながっている(ようにも見える)。
どのイラストも抽象度がやや高いので、年月を経て眺めると、描いた本人であるにもかかわらず(笑)新たな見方ができて面白い。
この絵を描いた当時に作った自分の歌をもういちど歌ってみてもいいな、と思った。
かしぶちさん、どうか天国で安らかにされてください。
そして、私は、私らしく、誠実にがんばらなければね。