Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

オウチのパパ

うっかりしていて、風邪をひいてしまった。
忙しい時期に限って、、、というか、今年の春は気温の変化がありすぎる。
でもこの寒さのおかげで、桜は散らないでいてくれるのだ。
早めに手をうたなくては、てなわけで、本日午前中、車を走らせて近所の病院へ行く。
ああ、もう春休みなのですね、待合室には小さい子どもがお母さんに連れられてわらわらと。
さんざん待たされて風邪薬を処方してもらった頃には、もう11時過ぎ。正午には少し早いがお腹もすいたし、薬を飲むためにも何かお腹に入れなくては、というわけで、そのへんのファミレスにふらりと入ってみた。
のんびり食事をしていると、となりにいきなり三世代家族がどーんとおいでになる。
おじーちゃん、おばーちゃん、ママ、幼稚園ぐらいの女の子、そして、やたら「パパー。パパー。」と叫ぶ小さな小さな男の子。
面白いことに、このご家族の会話のほとんどは、その席にいない「パパ」のことに終始していた。
おそらく「おじーちゃんおばーちゃん」は、「ママ」のご両親。
企業戦士なのか、歯医者さんなのか、新聞記者なのか、消防士さんなのか、タクシーの運転手さんなのか、ガッコの先生なのか。結局「パパ」が何をする人なのか、「パパ」がどんな人物なのか、彼等の会話からは不思議と浮かび上がってこなかったけれど、それでいいのね。
家庭の中での「パパ」しか、彼等は本当に知らないのかもしれない。そして、その「パパ」がとても好きなのだ。働くパパでもなく、葛藤するパパでもなく、オウチの中にいるときのパパが、好き。
そんな気がした。


仮にそのパパがオソトで働くパパではなく、オウチで働くパパだったら、この家族の有り様もずいぶんと違ってくるのだろうか。なんて、まったく関係ない他人の家庭のことなのに、いろいろ想像してみる。
たとえばこの人たちのパパが、学者とか、小説家とか、音楽家とか、美術家とか、自宅で営む古本屋さんとか、自宅で営む骨董屋さんとか、自宅で営む洋食屋さんとか、仕事のほとんどを家でこなす人であったなら、春休みの満開の桜のかたわらにあるファミレスで家族達がパパ抜きにパパの話題に興じるなんて、きっとあり得ないのだろう。
見たことも会ったこともないこの人たちの「パパ」が、オチゴトの悩みも大変さも人には言えないプライベートも、すべてオウチの中に持ち込まざるを得ないような職種であった場合、きっとこのご家族の笑顔の質は、少しだけ違ったものになる、、、、ような気がした。



私が処方していただいたお薬はよ〜く効いた。
さ。オチゴトオチゴト。