Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

言ってはイケナイ

1週間前、声がまったく出ない恐怖を味わった。
といっても、この無声地獄を体験したのは、これまでの人生で2度目。
声帯の炎症をおさえる抗生物質を処方してもらい、極力喋らずにいたら、3日でほぼ元通りになった。
とてもあっけない無声期間であった。
前回もわりあいと治りが早く後遺症も残らなかった。
なので今回はそれほど恐怖のどん底にいたというわけではないが、8年ほど前だったか、朝起きたときに生まれて初めて自分の喉から音という音がまったく消えてしまったときは、本当に「どうしよう」と思った。
もう一生声が出ないのか、出てもこれまでの私の声とはまったく別の声である場合はどうすればいいのか、絶望的な気持ちになった。
怠け怠けではあるが歌を歌うことを職業にもしている身である。声を失ったことに激しく動揺し、一瞬のうちに今後の人生設計をすごい勢いで修正変更し、次の瞬間には諦めの境地にいたった。
最大限に声を出しているときの「喉の快感」をもう二度と得ることができないのだなぁ、とひどくショボくれていたが、その日の夜には重度のインフルエンザにかかった青江三奈程度に回復し(ああ、こんな記述をご本人が読まれたらさぞ不快に思われることでしょう)、翌々日には開きっぱなしだった私の声帯はほぼ通常営業の状態に戻った。


喋れないとき、に限って、意志を伝達する必要に迫られる。
普段はそんな緊迫した場面など滅多にめぐってもこないのに、なぜだか重要なことを喋らなければならないシチュエーションとなる。
2日前の私なら、あっけなく何かを答え、思ったことをするすると口にし、良くも悪くもその場になにかしらの「結果」を残しているところであった。
でも、ある日突然喋れないヒトとなった人物は、伝えようとすることの100分の1も伝えることができない。首を縦にふったり横にふったり、微笑んだり、眉根を寄せたり、指で数字をあらわしたり、ほとんど幼児なみの伝達機能しか持たない。
だから、喉の痛みをこらえながらコソコソ声を発する前に、よーくよーく考えるのだ。今、自分の喉の奥にある「言葉」を相手に放ってしまっていいのかどうなのか。
たった2日間だったが、この「喋る前にじっと考える」体験期間は、今の私にとって大切なことを教えてくれた。
言ってはイケナイ、いま、言ってはイケナイ。
でもそのことこそが、本当に重要なこと。だからこそ、簡単に言ってはイケナイ。
もしも言うのであれば、喉を破ってまで、言う、のですね。