Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

おそろしいもの

深夜まで起きていると、家の中にいても右、左、前、背後、全方位からつぶさに秋の虫の声が聴こえてくるようになった。
なんと!
もう秋、、、なのである。
予測できない人生の数歩先とは違って、日本の四季がめぐるのは毎度のお約束。
完全に予測が可能であるにもかかわらず、毎年この秋の気配の訪れに、「え、今年ももう夏が終わってしまったのか〜〜」と驚かされているのだから、人間とは、というか少なくとも私はまったく懲りていないということざますね、季節のウツロイというものに。



心を動かされる、というコトに対して、消極的であっては決してならない、という信念に近い思いが私の身体のどこかにいつも潜んでいる。感動が感動を呼ぶ、感動の永久運動のようなこのメカニズムを私の脳ミソにみっしりと植え付けたのはおそらく私の母だと思うが、そのことを先ず母に植え付けた人間は、たぶん私の父だろう。
母は対象物が目の前にあれば、一寸違わぬ正確さで写実することに素晴らしく秀でている。
しかし、目の前に何も無ければ、何をも描くことはできない。(このことが私には信じられないが、本当にそうなのだ)
一方、父は無から何かを掬いとることが、とても得意だった。
私がこの世に生まれてくるより前、母はそんな父を何冊ものスケッチブックに写生していた。
顔全体の素描、耳の緻密なデッサン、目蓋、手首、睫毛、斜後ろからの耳たぶ、、、おびただしい数の、ありとあらゆる父の細部が、それらスケッチブックの中にひしめき合っていたのだ。


アレ。あの、スケッチブック。それをもう一度見てみたいと、最近よく思う。
物置きの奥深く?長持のどれかの一番底に?開かずの間となっているあの部屋のどこかに?
それとも、10年前、父の葬式のとき遺体といっしょに灰になってしまったのだろうか、母の意志によって。
それを見たいという気持ちが募れば募るほど、アレはどうなったのか、尋ねてみるのも、理由も無くおそろしいのだ。。。