Darieの超~お気楽日記

音楽家Darie(濵田理恵)が日々のことを綴る、超~お気楽日記。

ハドソンのサイン

一昨日のこと。
友人の飼っていた犬が亡くなったと連絡が来た。
もう高齢で、ここ最近はだいぶ危ない状態であったのだそうだ。
ずいぶん昔、元気に走り回る姿を見たことがある。つい数カ月前にも頭をなでなでして話しかけたのだ。
気の毒になぁ、、としばしその犬の生前の姿を思い出していたところ、なんだかわからないが、はたと符合するものがあった。


その5日間ほど私は、3年前に死んだ愛犬ハドソンの気配をずっと感じていたのだ。
あともうじきで10歳になろうとしていたハドソンは血小板減少症という病気にかかり、あっという間に死んでしまった。死んでのち、私達は、少なくとも私は、時おりハドソンの気配を感じることがあって、そのたびに懐かしい気分で身体中がひたひたと満たされていたのだ。
数日前に病院で診察を待っているときも、liveの楽屋でお化粧をしているときも、ハドソンの気配や匂いをうっすらと感じ、それが何を意味するのかその時はよくわからなかったんだが、 ああそうか、友人の年老いた犬を迎えに来ていたのか、と、(とんでもなく突飛な思いつきではあるけれど)一人ですっかり納得しまった。
ハドソンと友人の犬は生前一度も会ったことはないが、生きていれば13才と14才の同世代同士。ああ、そうか、そうだったのか〜。
久しぶりにお線香をあげたくなってお位牌を祀ってある祭壇へ行くと、生前の写真を入れて飾ってあった額が、あろうことか倒れていた。
前日の地震のせいかもしれない。
家人のおかーちゃまがお花を取り替えるときにうっかり倒したのかもしれない。
でも、私は姿無きハドソンの発信したサインだと確信し、突然降ってわいた自らの妄想めいた考えに胸が一杯になったざます。
ハドソーーーーーン。



そう、亡きハドソンが現れた、というよりも、私のハドソンへの愛着が私の心の中に、どこにもない、なにでもない、得体の知れない、得難く大切な、ナニカを形作っているのだ。
友人の愛犬の死が、そのナニカに私自身を強力にアクセスさせてしまった、、、なりね。
そのワンちゃんが幸せに天国に行けるように、ハドソンにも神様にもお願いし、とにもかくにも、胸一杯で過ごした一日ざました。
切なくも晴々とした気分。どんなにとんでもないことがあっても、気分はこうありたいですにゃ。